
研修ゲームを中学校の現場へ
私は日頃、企業の社員研修などで、ジェスチャーゲームを取り入れることがあります。
単なるレクリエーションではありません。
言葉を使わずに相手へ何かを伝えること、相手の表現から意図を読み取ること、そして、思い通りに伝わらないときに別の方法を考えること。
こうしたコミュニケーションやチームプレイの能力を、楽しみながら体験してもらうためのゲームです。
普段は大人たちを相手に行っているこのゲームを、🔗横浜市立鴨居中学校「和(なごみ)ルーム」でも実施しています。
実は今回が2回目になります。
1回目の記事はこちら

難易度を上げた「三人演劇」の挑戦
前回は、少し難しいお題を用意して、言葉を使わずに相手へ伝えるというゲームを行いました。ところが、これが予想以上に上手だったのです。
難しいと思って用意したお題も、子どもたちは次々と表現し、答える側も驚くほど正確に読み取っていく。
そこで今回は、かなり難易度を上げることにしました。
一人ではなく三人で演じる。そして、単純な動作ではなく、出来事の前後関係や登場人物の感情まで含めた長い文章を、言葉を使わずに伝えてもらうのです。

例えば、三人で記念写真を撮ろうとして、何度もポーズを決めていたのに、実はカメラがずっと動画モードになっていたことに気づき、全員がショックを受けるという場面。
あるいは、体育の先生が生徒たちにかっこよくシュートのお手本を見せようとして失敗し、それを見た生徒たちが笑いを必死にこらえている場面。
さらには、誕生日のサプライズを準備していたのに、本人が忘れ物を思い出して部屋を出てしまい、驚かせるタイミングを失って困っている場面。
もはや単語を当てるジェスチャーゲームではなく、小さな無声映画のようなものです。
ところが、今回もまた、子どもたちは想像以上にできてしまいました。
しかも、ただ上手に演じるだけではありません。
伝わらないと分かると、いったん作戦を立て直し、別の動きに変えて、もう一度挑戦する。三人で役割を相談しながら、どうすれば相手に伝わるのかを考えているのです。
その柔軟さには、何度も驚かされました。

出来事は伝わる。でも、感情や状態は難しい
今回、特に面白かった発見があります。
それは、何が起きたのかは驚くほど正確に伝わるのに、そのとき人がどんな気持ちだったのかを伝えるのは、ずっと難しいということです。
例えば、誕生日のサプライズを準備していることは、すぐに分かります。
本人が来たことも、隠れていることも、忘れ物をして帰ってしまったことも分かる。
ところが、その結果として「驚かせるタイミングを逃して困っている」という状態になると、なかなか正解にたどり着きません。

「がっかりしている」
「困っている」
「気まずくなっている」
「準備が台無しになった」
どれも間違いとは言い切れない。でも、少しずつ違う。
サッカーのPKで、ボールがゴールポストに当たって跳ね返った場面でも同じことが起きました。
シュートを外したことは分かる。しかし、喜びかけた三人が一瞬動きを止めてしまう、その微妙な状態が難しい。
私たちは普段、喜怒哀楽という言葉で人の感情を簡単に分類しています。
でも実際には、喜んでいるのか、安心しているのか、驚いているのか。悲しいのか、悔しいのか、困っているのか。
人間の内側で起きていることは、それほど単純ではありません。
そして、同じ動きを見ても、人によって受け取り方が違う。
出来事を共有することと、感情を共有することは、どうやら別の能力なのかもしれません。

大人より子どもの方が、細かな違いを拾っている?
もう一つ印象的だったのは、答えるときの大人と子どもの違いです。
大人は、何か分かった気がすると、どんどん言葉にしてしまいます。
「誕生日だ!」
「失敗した!」
「がっかりしている!」
私自身も含めて、とにかく思いついたことを口に出す。
一方で、生徒たちは細かな動きをよく見ています。
誰が誰に向かって動いたのか。なぜそこで止まったのか。何を見て、何に気づいたのか。

大人が大まかな状況を言い当てて満足している間に、子どもたちはもっと細かいところまで読み取ろうとしているように見えました。
実際、保健室で具合の悪い生徒を診察しているうちに、付き添いの友達まで具合が悪くなるというお題では、早い段階で「保健室」という答えが出てきました。
なぜ分かったのか聞いてみると、椅子の配置や登場人物の動きなど、実に細かなところを見ていたようです。
私なら、病院だと思ってしまったかもしれません。
同じ光景でも、それまでに経験してきた生活によって、見えてくるものが違うのです。
これは世代の違いなのか、それとも子どもたちの観察力なのか。
簡単には結論を出せませんが、少なくとも、大人の方が言葉をたくさん知っているからといって、相手の表現を正確に理解できるとは限らないことを実感しました。

伝わらないから、別の伝え方を考える
今回のゲームでは、難しいからといって簡単にお題を変えることはしません。
伝わらなければ、どうすれば伝わるかを考える。
同じ動きを何度も繰り返しても伝わらないなら、別の表現に変える。
必要なら、三人の役割や立ち位置まで変えてみる。
これは、企業研修でも大切にしている考え方です。

仕事では、自分が納得できる条件ばかりが与えられるわけではありません。
自分の提案が採用されないこともあれば、誰かが決めた方針のもとで仕事を進めなければならないこともあります。
そんなとき、決定そのものを変えられなくても、その中で自分にできる工夫は残されています。
そして、自分一人では難しければ、仲間の力を借りる。
ただ、今回の子どもたちを見ていると、こちらが教えようとしていたことを、すでに自然にやっているようにも感じました。
伝わらなかったら、違う動きにする。
相手が理解してくれそうなところを探す。
それでも駄目なら、もう一度相談する。
誰かに「柔軟に考えなさい」と教えられなくても、ゲームに夢中になる中で、自然とそれができているのです。

いつもとは違う子どもたちの姿
授業後、先生方と振り返っていると、もう一つ嬉しい話がありました。
普段は集団の中であまり前に出ない生徒が、今回は積極的に身体を動かし、表現を考え、最後にはみんなの前で演じていたというのです。
また、普段のカードゲームやおしゃべりではなかなか見られないほど、笑顔で自分の考えを出していた生徒もいたそうです。

私自身も、今回の子どもたちの表情や動きには何度も驚かされました。
もちろん、一度のゲームだけで何かが大きく変わったと考えるのは早計でしょう。
ただ、普段の教室で目立つ能力と、今回のような場面で発揮される能力は、必ずしも同じではありません。
言葉で説明することが得意な子もいれば、身体を動かして伝えることが得意な子もいる。
じっくり観察することが得意な子もいれば、誰かの表現を受け取って、そこから次のアイデアを出すことが得意な子もいる。
そして今回、先生も大人も生徒と一緒になって演じ、間違え、笑っていました。
大人が教える側、生徒が教わる側という関係ではなく、同じゲームに本気で参加する。
こうした時間だからこそ、普段とは違う姿が出てくるのかもしれません。

言葉が増えるほど、私たちは相手を理解できているのだろうか
今回、私は一つの疑問を持ち帰りました。
私たちは普段、相手に何かを伝えるとき、言葉を増やそうとします。
もっと詳しく説明する。もっと正確な言葉を探す。もっと分かりやすく言い換える。
もちろん、それは大切なことです。
でも、言葉を使えなくなった途端、私たちは相手の表情や身体の動き、視線、間合い、ちょっとしたためらいまで見ようとする。
伝える側も、自分が言いたいことをただ表現するのではなく、相手にはどう見えているのだろうかと考え始めます。
つまり、言葉という便利な道具を取り上げられることで、普段はあまり使っていない別の能力が動き出すのかもしれません。

一方で、今回最後まで難しかったのは、人の感情や状態を正確に伝えることでした。
出来事は伝わる。
行動も伝わる。
でも、その人が何を感じ、どんな状態にあるのかは、なかなか伝わらない。
これはジェスチャーゲームに限った話ではないように思います。
私たちは日常生活でも、相手が何をしたのかはよく見ています。
文献や会話の中でも、なぜそうしたのか。そのとき何を感じていたのか。そこまで本当に理解できているのでしょうか。

今回のなごみルームでは、子どもたちに何かを教えるつもりでゲームを用意した私の方が、ずいぶん多くのことを教えてもらいました。
次は、言葉ではなく、声や音だけを少し使えるようにしたらどうなるのか。
そんな新しい実験もしてみたくなっています。
伝えることと、伝わることは違う。そして、伝わらなかったときに、相手に届く方法をもう一度考えられること。
それこそが、コミュニケーションの面白さなのだと思います。

