【開催報告】「和歌山大学 x 人生インターンシップ」学生 × IT社会人 交流会


和歌山大学にて、学生 × IT社会人 交流会となる「人生インターンシップ」を開催!

今回のイベントは、単なる就職活動支援やキャリア説明会ではなく、世代を超えた「学び合いの場」として非常に大きな意味を持つ時間となった。

一般的な就職イベントでは、企業や社会人が学生に対して情報を提供し、学生はそれを受け取る側に置かれることが多い。
しかし今回の場で目指したのは、完成された答えを大人が一方的に教えることではなかった。

むしろ大切にしたのは、学生がまだ言葉にしきれていない違和感、迷い、不安、怒り、気づきを、その場で少しずつ口に出せる空気をつくることだった。

冒頭でも、「まとまっていなくていい」「オチがなくてもいい」「なんとなく感じたことを口にしてほしい」という趣旨が共有されており、学生が評価される場ではなく、未整理な感情や気づきを出してよい場として設計されていた。

大人の「救済衝動」を、そのまま渡さない。

大人は、若い世代に対して何かを伝えたくなる。

「自分と同じ失敗をしてほしくない」
「もっと早く知っておけばよかったことを伝えたい」
「若いうちに視野を広げてほしい」
「社会に出る前に、現実を知ってほしい」

こうした思いは善意である一方、そのまま若者に向けると、時に重たくなる。
大人の経験は、未加工のままでは説教や助言になりやすい。若者にとっては、受け取る前に圧を感じてしまうこともある。

今回のイベントで行われていたのは、その大人側の強い思いや経験を、学生が取り込みやすい形に分解する作業だった。

大人たちは、自分の成功談だけではなく、退職、転職、離婚、起業、田舎で働くこと、人間関係の失敗、都会への違和感、技術と人間力の関係など、かなり生々しい人生の断片を語っていた。

それは、きれいに整ったキャリア論ではない。
むしろ、途中で迷い、失敗し、方向転換しながら、それでも何とか生きてきた大人たちの「人生ログ」だった。

だからこそ、学生にとっては受け取りやすかったのだと思う。

目次

学生は「答え」ではなく「景色」を受け取っていた

今回の場で印象的だったのは、学生たちが大人の話をそのまま正解として受け取っていたわけではない、という点である。

学生たちは、大人の経験談を聞きながら、

  • 地元で生きる選択肢の発見

  • ネットワークによる可能性の拡大

  • 心地よい環境と対話の必要性

  • 誠実な傾聴姿勢の大切さ

などを、自分の言葉で少しずつ咀嚼していた。

つまり学生たちは、単に「大人の話を聞いた」だけではない。

大人の話を材料にして、自分の中にある不安や疑問を整理し直していた。
それぞれの話を、自分の人生に引き寄せて考え始めていた。

ここに、このイベントの大きな価値があった。

大人もまた、自分の経験を言語化し直していた。

一方で、この場は学生だけが学ぶ場ではなかった。

大人側にとっても、自分の経験を若い世代に向けて語ることで、自分自身の人生を改めて言語化する時間になっていた。

普段、大人は自分の経験を「当たり前のもの」として抱えている。
苦労したこと、悩んだこと、選択を間違えたこと、何とか乗り越えたこと。
それらは日常の中では整理されないまま、身体感覚として蓄積されている。

しかし学生に向けて話そうとすると、それを一度言葉にしなければならない。

「なぜ自分はその道を選んだのか」
「何に苦しんだのか」
「何を大切にしてきたのか」
「今の若い人に何を渡したいのか」

その問いに向き合うことで、大人側もまた、自分の人生を整理し直していた。

つまりこれは、学生に対する一方的な支援ではなく、大人自身が自分の経験を再発見する場でもあった。

学生から大人への「学び返し」も起きていた

さらに重要なのは、学生たちがただ受け取る側ではなかったことである。

学生たちは、大人の話を聞いた後に、自分なりの気づきや違和感を返していた。

たとえば、田舎にいたまま外の世界を知る方法への気づき。
人を通じて情報や価値観を得るという発想。
コミュニケーションのある環境への関心。
人の話を一度受け止めることの重要性。

こうした学生の反応は、大人側にとっても大きな学びになっていたはずである。

大人は、自分が語った経験が、若い世代の中でどのように変換され、どのような言葉として返ってくるのかを見ることができた。

これは、ある意味で若者から大人への恩返しでもある。
ただし、それは感謝の言葉というより、大人の経験が若者の中で別の意味に変わって返ってくることである。

大人が渡したものが、学生の中で咀嚼され、別の気づきとして戻ってくる。
その往復によって、場全体が深い学び合いになっていた。

 

この場は「就活イベント」ではなく「相互変換の場」だった。

今回のイベントを一言で表すなら、
大人の未消化な経験や救済衝動を、若者が吸収できる形に変換し、さらに若者の気づきによって大人も学び直す場だった。

大人は、若者に何かを教えたい。
若者は、大人から何かを学びたい。
しかし、そのままではうまく噛み合わない。

大人の言葉は重くなりすぎることがある。
若者の不安は言葉にならないことがある。
世代間には、感覚の違いもある。

だからこそ必要なのは、正解を教える場ではなく、互いの経験や違和感を咀嚼できる場である。

今回のイベントでは、食事をしながら、雑談をしながら、時に笑いながら、それぞれの経験がほどけていった。
大人の話は説教ではなく素材となり、学生の反応は感想ではなく新しい視点となった。

その意味で、このイベントは十分に「完成」していたと言える。

完成というのは、すべてが予定通りに進んだという意味ではない。
むしろ、予定調和ではない言葉が出て、未整理な気づきが生まれ、大人も学生もそれぞれに持ち帰るものがあったという意味で、場として成立していた。

今後への示唆

今の学生に必要なのは、単なる情報提供ではない。

情報はすでに溢れている。
就活サイト、企業説明会、SNS、動画、AI。
調べればいくらでも情報は出てくる。

しかし、情報が多いからこそ、自分の感情や違和感をどう扱えばよいのかが分かりにくくなっている。

必要なのは、完成された正解ではなく、

迷ってもいいと思えること

道を変えても生きていけると知ること

失敗した大人が普通にそこにいること

自分の違和感を口にしてよい空気

人とのつながりによって視野が広がる実感

である。

今回のイベントは、それらを学生に押し付けるのではなく、学生自身が手を伸ばせる距離に置くことができた。

同時に、大人側もまた、自分の経験を若者に向けて語ることで、自分自身の人生を再整理することができた。

このような場は、就職活動支援という枠を超えている。
それは、世代間で経験を交換し、互いに学び直すための新しい教育的・社会的な場である。

まとめ

今回のイベントは、大人が若者に答えを与える場ではなかった。
若者が大人から一方的に学ぶ場でもなかった。

大人は、自分の経験や救済衝動を言葉にした。
学生は、それを自分の中で咀嚼し、気づきとして返した。
その返された気づきによって、大人もまた学び直した。

つまりこの場では、世代の違う人たちが、それぞれ別の形で深く学び合っていた。

大人の経験が若者の栄養になり、
若者の気づきが大人の学び返しになる。

今回のイベントは、そうした循環が確かに生まれた場だった。

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須賀 孝太郎
おおたかの森ファーム 代表取締役
東京工業大学工学部を卒業後、工業デザイン事務所にてデザイン業務を経て、家業である税理士事務所に入社。そのノウハウを生かし経営コンサルティング おおたかの森ファーム株式会社 を設立。ボクシング好きの三児の父。
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