
先日、大阪公立大学工業高等専門学校にて、一般社団法人ソフトウェア協会(以下、SAJ)と大阪高専の共催による「人生インターンシップ」が開催された。
私は株式会社テクノロジードックの須賀として参加させていただいた。
このイベントは企業説明会ではない。
学生に企業を紹介する場でもなく、企業が採用活動を行う場でもない。

選択肢が多すぎる時代に、高専生たちは何を頼りに進路を決めるのか
ソフトウェア業界を中心に様々な分野で働く社会人たちが、自らの失敗や迷い、転職や進路選択の経験を率直に語り、学生たちがその話を聞きながら自分自身の人生について考える対話の場である。
参加したのは大阪高専の4年生・5年生たち。
就職か進学か。
研究か仕事か。
専門性を深めるのか、幅を広げるのか。
まさに人生の分岐点に立っている世代だ。
しかし今回、私が最も印象に残ったのは、学生たちの進路そのものではなかった。
彼らの「選び方」だった。
まず驚いたのは、学生たちが思った以上に自由に発言していたことだ。
その背景には学校の空気がある。
先生方や校長先生との距離が近く、普段からフランクに話せる関係性がある。

だから学生たちも、
「正解を言わなければいけない」
という顔ではなく、
「まだ言葉になっていないことを話してみよう」
という表情をしていた。
その結果、面白い言葉がたくさん生まれた。
例えば宇宙開発の話になったとき。ある学生がこう言った。
「イーロン・マスクって、あれだけ優秀な人たちが集まってるんだから、ロケットの爆発も失敗じゃなくて、わかってやってるんじゃないですか?」
会場にいた大人たちは思わず笑った。

しかしよく考えると深い。彼は失敗を見ているのではない。
失敗から何を得ているのかを見ている。
技術者らしい視点だと思った。
また別の学生は海外の話から、「日本は安全すぎて少し退屈」と話した。
もちろん危険な方が良いという意味ではない。
その学生が言いたかったのは、生きるか死ぬかではなく、「細胞が生き返るような感覚」だった。
こうした発言は、正解を求める空気からは出てこない。
自由に考えていい空気があるからこそ出てくる。

そしてもう一つ、私が非常に興味深かったのは彼らの進路の決め方だった。
大人はよく、
「今の若者は選択肢がたくさんあって羨ましい」
と言う。
しかし実際に話を聞くと、彼らは選択肢の多さをそれほど喜んでいない。
むしろ困っている。選択肢が多すぎるからだ。
だから彼らは、
「何を選ぶか」よりも、「なぜそこに絞るのか」
を求めているように見えた。
自動車業界を志望している学生がいた。
話を聞くと、自動車が子どもの頃から唯一無二の夢だったわけではない。
たまたま自動車に関わる人と出会った。
たまたま自動車関連の経験が重なった。
気がつけば自動車業界が候補として残っていた。

また別の学生は、
成績や研究の状況が見えないから、まだその先を考えられないと言った。
さらに別の学生は、
やりたい職種はあるが、これから参加するインターンの結果を見て判断したいと言った。
誰も「何でも選べる自由」に興奮しているようには見えなかった。
むしろ皆、
自分を納得させてくれる理由を探していた。

ここで私は面白いことに気づいた。
彼らは進路選択をサボっているわけではない。
むしろ逆だ。
候補を選ぶことにはあまりエネルギーを使わない。
しかし候補が絞られた後は徹底的に考える。
会社の人はどうか。
職場の空気はどうか。
その仕事を続けられそうか。
インターンへ行き、人と会い、自分の目で確かめる。
入口は驚くほど偶然だ。
先生の紹介。
先輩の話。
親の意見。
たまたま見つけた企業。
なんとなく気になった分野。
しかし最後の判断は極めて真剣である。

私は今回の学生たちを見ていて、
今の若者は「主体性がない」のではなく、「無限の選択肢を自力で処理することの限界」を理解しているのではないかと思った。
だから彼らは縁を大事にする。
紹介を大事にする。
先生の意見を聞く。
親の意見を聞く。
それは他人任せにするためではない。
自分が前へ進むための理由を探しているのだ。

今回の人生のインターンシップで明確な答えが出たわけではない。
しかし一つだけ確かに感じたことがある。
今の高専生たちは、
未来を決めようとしているのではない。
次の一歩を決めようとしている。
そしてそのために、
人との出会いも、
偶然の縁も、
社会人の失敗談も、
先生の言葉も、
大切な判断材料として受け取っている。
選択肢が少ない時代は、選ぶことが課題だった。
しかし選択肢が無限にある時代は、絞ることが課題になる。
今回の対話会は、そのことを改めて教えてくれる時間だった。
株式会社テクノロジードック
須賀孝太郎
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