納税の本質をしるための授業 ~印西市にあるフリースクール「ぴおねろの森」~

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お金を持つ子が、いちばん苦しそうだった

印西市にあるフリースクール「ぴおねろの森」(HP)で、
先日の有機農業の授業に続き、今回は「税」をテーマにした授業を行いました。

自然の中で「税」という言葉は、少し無機質にも聞こえます。
けれど実際に起きたのは、とても人間的で、生々しい反応でした。

今回使ったのは、すでに子どもたちの間で流通している擬似通貨です。
円ほどではないにせよ、「それなりに価値があるお金」として認識されているもの。

その通貨を使って、仕事をし、報酬を得て、
そこから税を納める、というシンプルな構造を体験してもらいました。

そこで、はっきりと差が出ました。

持っていない子は、軽い
持っている子は、重い

通貨を持っていない子は、税に対して驚くほど抵抗がありません。
「全部あげるよ」
そんな言葉が、自然に出てくる。

一方で、
すでに多くの通貨を持っている子は違いました。
仕事はきちんとしている。
成果も出している。
誰よりも真面目に取り組んでいる。

それなのに、納税の場面になると、どうしても手が止まる。
拒否する、というより、苦しそうなのです。
仕事はできたのに、納税だけができない。

これは、本人にとってかなりしんどい状態だと思いました。

それは「独占欲」ではなかった。

一見すると、
「独占したい」「減らしたくない」
そう見えるかもしれません。

でも、よく見ていると違う。

誰かを出し抜きたいわけでも、
得をしたいわけでもない。

お金の量に、自分の存在意義が乗ってしまっている。

これだけ持っている自分
増やしてきた自分
減らさずに守ってきた自分

そこに、無意識のアイデンティティができてしまっている。

だから、減らすことが怖い。

「納税」とは、単にお金を払う行為ではありません。

その子にとっては、
自分の価値を削られるような感覚になっていた。

「金の価値なんて、その時でしかなよね」

ふとした一言が、核心を突きました。

本来、お金の価値は固定されていません。
誰かが決めた、一時的な約束事にすぎない。

でも一度、

努力の証

評価の代替

居場所の証明

として使われ始めると、お金は人格を背負わされる。

そうなると、

受け取ることはできる
でも、差し出すことができない
という歪みが生まれる。

払いたくないのではない。
失いたくない自分が、そこにいる。

興味深いのは、この授業がフリースクールで行われたという点です。

フリースクール「ぴおねろの森」では、

正解の歩き方が用意されていない
評価で居場所が決まらない
存在が条件付きで承認されない

だから、「持っていない子」は軽やかでした。

お金に、自分の価値を預けていない。

一方で、
すでに「持つ経験」を重ねてきた子は、
知らず知らずのうちに、
社会の縮図を引き受けていました。

これは個人の性格の問題ではありません。

社会が先回りして教えてしまう構造の問題です。

税の授業で見えたのは、

税の仕組みでも、
お金の怖さでもありません。

価値をどこに置くかで、人はどれだけ自由を失うか
その現実でした。

仕事はできる。
成果も出せる。
でも、差し出せない。

それは能力の問題ではなく、
生き方の重心の問題だった。

超子どもたちに委ねたフリースクールとは、

お金を教えない場所でも、
税を否定する場所でもありません。

価値を一箇所に固定しない感覚を、守り続ける場所です。

自分の存在を、
数字や所有に預けなくていい。

そう知っている子は、
差し出すことに怯えない。

そしてその自由さは、
大人がいちばん忘れてしまった感覚でもあります。

税の授業を通して、
教えられたのは、むしろこちらの方でした(^_-)-☆

須賀 孝太郎
おおたかの森ファーム 代表取締役
東京工業大学工学部を卒業後、工業デザイン事務所にてデザイン業務を経て、家業である税理士事務所に入社。そのノウハウを生かし経営コンサルティング おおたかの森ファーム株式会社 を設立。ボクシング好きの三児の父。
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